あれもこれも。
これは楓の花。初々しい新緑の葉に深紅の花がきれいです。数日しか見られない花ですが、今年は写真に収めることができて、ほんと幸運です(^^)v
株立ちの楓が地面に作り出す木陰は涼やかで美しい。一本立ちが作り出す木陰はどこか堅苦しく、軽やかさに欠けるような気がする私は、庭木のほとんどを株立ちにしました。一本立ちに比べ幹は細く かつその幹は重なって樹木を構成し野趣に富んだ庭にはよく似合います。
昔から 大らかで伸びやかなものに憧れました。細かい精緻なものは得意ではありません。ガラスは繊細なもののように思われますが 私には丈夫で大らかなイメージがあります。石や砂だったものが1000度以上の高温に溶かされ、人の手や機械によって 違う形に変化させられます。その上、出来上がったものは平板や磨きなどで艶出され そしてサンドブラストやカットといった加工をされます。
ガラス本来の性質が鷹揚でなければ こんな多くの変化を受け入れることはできません(笑
贈り物や記念品を考えるときに 相手の立場に立ちすぎて本来の「自分がそのお歓びを知って嬉しく思った気持ちを伝えたい」という想いが遠ざかって行くことがあります。考えすぎてしまうとその想いの輝きが鈍ってしまうのです。ギフトを贈ることは 自分が幸せになる第一歩です。あまりに慎重に考えすぎて そのタイミングを逃さないで。贈り物を受け取ってくれる人は あなたのように大らかで度量が広いはずです。そしてそんな人にこそ サンドブラストの贈り物をお贈りいただきたいと心から願うのです。
株立ちの楓が地面に作り出す木陰は涼やかで美しい。一本立ちが作り出す木陰はどこか堅苦しく、軽やかさに欠けるような気がする私は、庭木のほとんどを株立ちにしました。一本立ちに比べ幹は細く かつその幹は重なって樹木を構成し野趣に富んだ庭にはよく似合います。
昔から 大らかで伸びやかなものに憧れました。細かい精緻なものは得意ではありません。ガラスは繊細なもののように思われますが 私には丈夫で大らかなイメージがあります。石や砂だったものが1000度以上の高温に溶かされ、人の手や機械によって 違う形に変化させられます。その上、出来上がったものは平板や磨きなどで艶出され そしてサンドブラストやカットといった加工をされます。
ガラス本来の性質が鷹揚でなければ こんな多くの変化を受け入れることはできません(笑
贈り物や記念品を考えるときに 相手の立場に立ちすぎて本来の「自分がそのお歓びを知って嬉しく思った気持ちを伝えたい」という想いが遠ざかって行くことがあります。考えすぎてしまうとその想いの輝きが鈍ってしまうのです。ギフトを贈ることは 自分が幸せになる第一歩です。あまりに慎重に考えすぎて そのタイミングを逃さないで。贈り物を受け取ってくれる人は あなたのように大らかで度量が広いはずです。そしてそんな人にこそ サンドブラストの贈り物をお贈りいただきたいと心から願うのです。

この赤は、アントシアニンという色素が影響しており、太陽光に含まれる紫外線による害作用を防ぐためとされています。若い葉はまだ葉緑体が成長しきっておらず そのため日焼け止めクリームのような役割をアントシアニンは負うのです。
写真の薔薇は ブルーにピンクがちょっとかかったブルーライト色の花をつけますが、その上品な色目から今の赤い新芽は想像できません。ですがこのアントシアニンのおかげで 美しい花をつけると思うと今から花の成長さえも楽しみです。
先行きが楽しみなことは「新芽」の特権ではありません。若いからこそ、どんな花をつけるのかワクワクもしますが、心配もします。もしかしたら、フツーのピンクのバラになるかもしれないし、台風で開花前に折れてしまうかもしれない、病害虫に蝕まれるかもしれない・・・心配事は尽きません。
それでも、花の成長を見守るのがガーデニングです。消毒剤を散布したり、支柱を立てたりしてもダメな時は どうやってもダメなものです。それでも、その時々に自分自身が後悔しないようにお世話をすることで ダメな時でさえも、清々しい気持ちになります。お花自身の生命力が最後にはモノ言うというのは、百も承知しているからです。
それはガーデニングに限らず、子育てや自分育てなどにも共通する考えです。親は一生懸命子供の事を考えて育児しますが、最後は子供自身の問題だ言われることは世の常ですから。それでも、ついつい心配して あれこれと世話を焼いてしまう。でも、そんなお母さんが私は大好きです。母の日ギフト→
大輪の薔薇やカサブランカは お花の中でも一際艶やかで、風格があります。私も牡丹の花や胡蝶蘭など気に入って飾っていたこともありました。胡蝶蘭を玄関に置くと一瞬にして空気感さえ変わります。それほどインパクトのある花です。でも、あるとき「そーゆーお花って 大変だろうなっ」と思う時ことがありました。私がそう感じただけでお花はなにも思ってないと思うのですが、それでも咲くことだけで愛でられるのではなく、美しく咲き誇ってこそ愛でられるお花は大変だろうと^_^;
同じユリの花でも、ナルコユリはグランドカバーのように植えられます。上に上にと天高く伸びるではなく、横に横にと地面を覆いつくすように伸びて行きます。1輪のナルコユリの花が散っても誰も気づきません。ですが、次から次へと花は咲き代わり長い間、私達の目を楽しませてくれます。
例えばサッカーのようなスポーツでも、最終的には個人の力といわれますが、その個人の力を支えるチームメイトやマネージャー・トレーナーといった人たちの存在は欠かすことはできません。そういったことを考えるときに 誰かを支える人は誰かに支えられ、また支えられる人は 誰かを支え、と思ってしまいます。それを意識した時に人は強くなるのだなあと。








