大切な人に会いに行く。
毎年のことながら、日本人は無信心といいながら、初詣の渋滞ぶりに「やっぱりみんな神様が好きやん!」と思ったりします。
そもそも初詣は寒いし、人は混むし、面倒くさいものです。ましてや、お正月のお酒を飲んだあとは飲酒運転などご法度ですから、ゆっくりお家でお節でもつまみながらテレビを見るほうがよほど楽です。
私はiPhoneを使っているのですが、ついに今年は
「Siriさん、おみくじ!」と話しかけてしまい
Siriさんに 「どれどれ・・・・中吉です。」とまで言われてしまいました。
ですが、いくら混んでいるとはいえ初詣に参拝するとキモチが厳かになります。
画像は今年参拝させていただいた香川県の金比羅(こんぴら)さん。自宅から車で1時間ほどの場所にある一番よく行く初詣の神社です。金比羅神社や琴平神社は全国にありますが、この香川県の金比羅さんはそれらの総本宮。余談ですがハワイにも分社もあるのですよ。なんだか、嬉しくなりますよね。
そんな金比羅さんを金比羅と聞くと海の神を想像する方もいるかもしれませんが 金比羅さん自体は どんな願い事に関しても御利益があるそうです。それでもやはり海運・農業殖産・医薬・技芸(音楽や芸術関係)の神のイメージは強いかもしれません。私も自宅から30分程度の場所に四国八十八か所の一番札所 霊山寺がありますが、この技芸を願って金比羅さんに参拝します。「神にすがってガラスを作る」ではなくて、火傷やケガをしないようにですよ。(笑 無事なことが一番の願いですから。
さて、金比羅さんには全部で785段の階段があります。ゴールの本宮までは786段なのですが、途中石段が1段だけ下がる場所があります。なので786-1で785段としているそうです。これは786を「なやむ」という語呂を嫌ったという説もありますが おかげで石段の数を「なやむ-1=785段」と覚えてしまいました。石段を上る大変さはありますが、この大変さこそが本宮で参拝できた時の爽快感に繋がるというものです。
そんな金比羅さんも「参拝にこられない方はメール・手紙・FAXで受け付けています。」とのこと。Siriさんにも負けずの商売繁盛精神でしょうか。それでも、参拝後に厳かなキモチになれるのは初詣ならではのことです。確かに道も人も混んでいます。ですが その場所に行って神様を拝むことは何にも増して心を豊かにすることではないでしょうか。それは、大切な人に会いに行くキモチに似ているかもしれません。「人に会う」というのは、大人になると大変なところがありますよね。職場上司へのご挨拶や、恩師への年始訪問・親戚回りなど。先方が楽しみに待っていてくれると分かっていても、キモチが大変に思うことがあるのが大人です。それでも、一年に一度大切な人に会いに行く。きっと会いに行くことが大変に思っている人ほど、会った後の爽快感は大きいと思いますよ。
さあ、2016年もスタートしたばかり。今年は ちょっと会うのが大変そうな人に会いに行きましょう。そんな時の手土産には こちらをどうぞ→、ということで私も皆様にご挨拶を。今年もよろしくお願いします!!


美術ガラスを見る楽しみとして、作り方の謎があります。お料理も同じですが 美味しいご飯を目の前にしたとき、お魚が上手に捌かれているのは技術の差として、今まで食べたことのないような美味しいソースを口にした時「どうやって作ったのだろう?」「何が入っているのかな?」「この後味の正体は?」と、疑問が湧いてきませんか?そして、目の前の料理人さんがいるなら詳細をきいて、自宅で作ってみたくなる衝動に駆られませんか?
おおよその見当がついても、今一つその作り方に確信がもてない時があります。そんな時に便利なのが美術館の図録です。ガラスの文様の美しさは作り手のセンスに寄るものが大きいですし、技術の高さは一目で分かります。ですが、「どうやってつくったのだろう?」と思わす部分の解説が丁寧にかかれている、レシピ本のようなものを思い浮かべていただくと分かり易いかもしれませんね。
ガラスを彫ると一言でいっても、グラヴュールやダイヤモンド・ポイント彫り・エッチング・サンドブラストなど様々な方法があります。「これはエッチングね」と思っても、あとで図録と照らし合わせるとグラヴュールだったりします。そして改めてその技術の高さに恐れ入ったり、敬意を払うのです。なんでもかんでも手作業がいいのではなく、道具を使って美しく仕上げることはありだと思います。ですが、手作業だからこその味わい深さや道具を使わずとも手作業だけで作り上げる職人技は見応えがあります。
北澤美術館はフランス近代ガラス工芸の3大ブランドといわれる、ガレ・ドーム・ラリックの作品が1000点を超え収蔵されている美術館です。ガレは1889年に第4回パリ万国博覧会にて「芸術は万人のためにあるべき」との考えから「傑作を生み出すことに神経を傾けるだけでなく、芸術をより広い範囲の人々の手に届くものにしたい」と芸術の普及について決意を述べていました。
そんな意図をもったガレの作品だからこそ、単なる高嶺の花ではなく どこかしら親しみ深く そして驚きと発見に満ちた作品が多いのかもしれませんね。本物に触れて心満たす長野の旅でした。






