守るべきもの。
先日、ご縁がありまして草津の神社に納品させて頂きました。
神社仏閣はお神様のいるところなのであまり軽々しく書くのは 良しと思わないのでサラッと書きますが、それでもご神木大好きな私としては気になるご神木だったのでちょっと書き留めておこうと。
こちらの神社には樹齢500年の銘木があります。樹高 17.5m 樹幹周囲 316cm さすが500年の重みを感じます。
そして、この木のスゴイところは、クロガネモチの木とムクノキ、それぞれ異種の木が根本のところで1本に合体している珍しい木であるということです。また、根本部分だけでなく幹中央部分でもクロガネモチの木からムクノキが枝葉を出しているという、御霊木なのです。
私は神社仏閣に行くと必ずご神木を探します。なぜなら本殿や仏閣は時とともに増改築します。でも樹木はずっとそのままの姿を保つのですよね。しかし 植物というものは決してほっといてかってに大きくなったりするものではありません。幼木はもちろん、老木になろうともその地から動けない木に水や肥料、また剪定などを施してあげねば 数百年の年月を重ねることはできないでしょう。しゃべらない木だからこそ、人々は思いを馳せ大切に守ってきたのでしょうね。
もちろん、草花を大切にすることは当たり前ですが、「大切にすること」と「守ること」はまた別のような気がしています。草花のような1~2年草なら大切にするだけでなんとか乗り切れるでしょうが、数百年の木となると大切にするだけでは立派に育たないこともあるように思うからです。
自分が守っているように思って、逆に見守られていたりする。そうゆうのってステキと思いませんか。なんて思いながら
我が家の松も樹齢100年弱といったところでしょうか。
本当に手入れをして守っているつもりが 高いところから見守られている気がしています。
今年はちょっと手入れの時期が遅く、ボサボサにしてしまって申し訳なかったのですが 明日にはこざっぱりとして年末・年始を迎えることができるでしょう。私にとってこの木を次の世代に引き継ぐことが役割だなっと思う時がありますが、それを口にすると「そんな先のこと考えなくていいよ」と頭の上の方でこの松の木が言っているような気になったりもします。
守り、守られるという考え方は私は好きです。それが人同士であれば信頼とかになるのでしょうが、木であれ人であれ神様であれ 心の拠所を持つのは悪くないことだと、私は思ったりするのです。

